心のあり方が身体を変える ー 骨転移の知らせから12日経った母の心と身体の変化
5月20日金曜日
母のがんの骨への転移が見つかりました。
この知らせには母も私たち家族も相当落ち込んで、母は水さえ喉を通らないほどでした。
5月21日土曜日
父と妹、それから私と夫と娘二人がお見舞いに行きました。
奇しくもこの日は母と妹の誕生日でした。
少し遅い母の日兼誕生日プレゼントをあげ、頭と肩をマッサージしたり、表面上はなんとか普通に話すものの、母と私は話しながら時折泣きそうになっていました。
これほど元気がなく弱ってしまった様子の母は初めて見ました。
5月22日日曜日
治療方法などを色々調べた私は、癌が進行している以外身体の状態は悪くない母がこのまま死ぬはずがないと確信。
やりたいことをやろう、目標を作って楽しく過ごすために退院したら旅行に行こうと妹と算段。母と父に電話をしてまだまだできることはあるよと励ましました。
妹も子どもたちのビデオレターを送ったりしてみんなで励まします。
みんなで少しずつ前を向き始め、治療方法を探します。
5月24日火曜日
ゾメタの点滴。
5月25日水曜日
5月26日木曜日
2回目のお見舞いに行きました。
4日前に行った時より母は随分元気になったように見えましたが、それでもまだやはり食事は満足に食べられないようです。
父も日曜に会った時より元気そうに見えました。
20日からの緊急入院以降、父は家から2時間以上かかるがん研有明病院に毎日お見舞いに来ていました。
母の弟夫婦も何度も訪れてくれました。義妹が来るたびにフェイスアロママッサージをやってくれて気持ちよかったようです。
ほかにも親戚や友人たちが様々な治療法を探してくれています。
5月28日土曜日
土日に一時退院できることになったので、自宅の方に子どもたちも連れて会いに行きました。
家に帰った母は木曜に会った時よりも更に元気になっていて、少し痩せた以外はほとんど普通の状態に見えました。
色々な話をして、またマッサージをして、二人の祖母も一緒に食事をして良い時間を過ごせました。
5月29日日曜日
妹家族と、遠く千葉から父の弟家族が訪ねてきてくれました。
みんなで楽しく良い時間を過ごせたようです。
この2日間家で過ごせたのは大きく、母はまた持ち前の前向きさと元気を取り戻し、食事もよく食べられるようになったようです!
家族や友だちとよい時間を過ごすことはどんな薬よりも効くんですね。
母自身も、週末帰宅の二日間でこんなにも身体が変わるものかと驚いたようです。
5月30日月曜日
再び病院へ。水曜から始まる放射線治療のための前検査のためにこの日は入院。
水曜からの放射線治療は2週間毎日通いでやるつもりでしたが…CTを撮った所大動脈に血栓症が見つかったそうで、その対応のために24時間毎日連続して点滴を続ける必要があるため1週間は入院しなければならなくなりました。
6月1日火曜日
1回めの抗がん剤の副作用は特に感じていないようです。このままあまり副作用が出ませんように。
6月2日水曜日
4日ぶりに母と電話で話して、土曜よりも更に元気になっているのを感じました。
今の体調を聞いて、今後どのような方向性でやっていくのかを話し合いました。
驚いたことに、先週は全然食べられなかった食事が今週の入院中では出された1食分ぺろりと食べてしまい、足りないのでお見舞いに来た父に追加で買ってきてもらうほどだというのです!
しかも転移がわかる前でも納豆ごはんと味噌汁の朝食を40分では食べきれず2回にわけていたのに、今は一度で食べきれるようになってダンピングもないというのです。
生きることは食べること。胃を無くしはしましたが、母の腸はまだまだ生きられるよと元気に動いてくれているようです。
骨転移がわかってよかったこと
骨への転移があったことはもちろんバッドニュースなのですが、一方でそれを上回る良いこともあったと思います。
一つはここにきて初めて本当に家族が一丸となって闘っていく体制ができたということ。
もちろん母の胃がんがわかり、胃を切除して抗がん剤治療をして…その間私も妹も母のことをとても心配していました。でも正直なところあまりできることがなくて、私も妹も小さい子供がいて正直子どもの世話でいっぱいいっぱいなところもあり、うまく助けることができませんでした。
母自身も私たちが忙しいから頼るまいとしているところがあったと思います。
でも、責任感が強くて自分一人で頑張りすぎる人って癌になりやすいんですよね。
骨転移がわかったことで、私たちは心から母への心配の気持ちを伝え、それぞれにできることで母を助けようとし、母も周りの助けを受け取る気持ちを持ってくれました。
心から助けたいという気持ちとそれを受け取る気持ちがようやくつながったような気がします。
ストレスに対して本当に向き合う
母は軽度認知障の義母との同居、近所にはやはり軽度認知症の実の母(つまり私の祖母二人)がいてケアが必要で、かなりのストレスを抱える中病気に対して孤軍奮闘していたと思うのです。
私にできたのは時々祖母をうちに招いて何泊かしてもらい、一時的に母のストレスを軽減するくらいでした。
思い返してみれば二人の祖母が認知症になる前から口唇ヘルペスや顎関節症など随分色々ストレス原因と思われる病気をやっていたのです。
私が高校大学くらいの頃、もう15年以上前になる頃からいつもよく愚痴を聞いていて、母のストレス解消のために仕方がないなと思いつつ、あまり何度も同じことを聞かされるのでこちらが精神的に参っている時にはそれを聞くのもつらくて、数カ月前にはそのことで言い争いをしたほどです。
でも愚痴を聞くのも祖母と離れる時間を作ってあげるのも所詮は一時的な対症療法でしかなくて、根本的な解決にはならないんですよね。
この機会にカウンセリングを受けるなり何か他の方法を使ってでも、心の奥底に澱んでこじれてしまっているものを解消し自分の心のあり方を変えてみようと母が思ってくれたこと、これがもうひとつの良かったことです。
孤独ではないと伝えたい
骨転移がわかったあと、私は母の過去の経験を聞いたりどんな病気をしていたかを思い出し、そんなつもりはなかったけれど母を孤独にしていたかもしれないと心の中で謝りました。会った時にはマッサージをしたり抱きしめたりなど積極的にスキンシップを取るようにしました。これは免疫力向上にいいと言われていることもありますが、これまでのことや母の心の内を想像しているうちに自然とそうしたいという気持ちになったからです。
病気がわからなければお互いに変わらないままだったでしょう。別に元々仲が悪い母娘というわけではありませんでしたが、お互いにわかってもらえないという思いをいくらかは抱えていたかもしれません。病気を機に母と今までより良い関係になれたと思います。
この病を乗り越えることで病気になる前よりずっと良い人生が待っている。
私がそう確信してからちょうど10日経った今日、偶然にも母から同じ内容の言葉を聞きました。
より良い人生が拓けるようみんなで力を合わせて頑張っていきたいと思っています。