56歳 胃がんと闘う母の記録

胃がんで胃を全摘出した母の闘病記

闘病を振り返って②患者本人の心の持ち方について思うこと

がんが発覚した後、私が母の治療に関わるようになったのは特に骨転移がわかったあとでしたが、この骨への転移は母に大きなショックを与え、その後なかなか本来の自分を取り戻せずにいました。

闘病中に私が特にこれはまずいなと思ったこと、闘病を振り返った今こうしておけばよかったと思うことなどをまとめてみようと思います。

 

闘病中の心の持ち方について思うこと

1.がんを恐れ自身で治療法について調べることが少なかった

骨への多発転移が見つかったとなると予後の見通しは悪く、何か調べようとすれば生存率や起こりうる症状など悪い情報ばかりが飛び込んできて良い情報を見つけるのは困難です。そのことを恐れ、見るのがつらいからと母は自分で治し方などを調べることをしなくなりました。骨転移が分かった時の母の落ち込みがかなりひどかったので、家族も見なくていいよと情報から遠ざけ、調べ物は家族や友人など周りの人達がしている状況でした。

しかしこれは一時的に落ち込みがひどかった時には仕方ないとしても、もう少しきちんと自分自身で調べて考えて向き合うべきだったと今では思います。

悪い情報もこれから起こりうることの可能性の一つです。見るのは怖いかもしれませんが、予め起こりうることを知っておくことでそれが起こった時に心の準備ができていて早めに対処ができるということもあります。

ただし悪い情報ばかりを見ていると気が滅入ってしまいますから、治った人の話を読んで気持ちを鼓舞したりどのように治していくかイメージを作っていくことも重要です。

末期の状態からでも寛解した人はいます。

治るのも悪化するのも同じ一つの可能性です。確率は関係ありません。

自分がどのように行動するかで未来は変わるのです。

 

2.自分がこれが良いと思う治療法が定まらなかった

効果があると思われる治療法はたくさんあり、多くの人から多くの情報が母のもとに集まってきました。

しかし、母は自分の中でこれだというものを決められずどれも少しずつやっているような感じでした。食事療法にしても私や妹はほとんど同じ内容の食事をするにしても結構楽しんでできていたのですが、母は何だか気が乗らない様子で食事療法を始めていくらも経たないうちに玄米ももう食べたくないと言ったりして、なんであんなにいやいややってる感じになっちゃうんだろうねと私たち姉妹も首を捻っていました。

自分が良いと信じて本気で取り組まなければどんなに良いと言われているものだって効果は落ちると思います。

この自分が良いと思う治療法が定まらなかった原因の一つには上記の自分自身で治し方を調べることが少なかったことがあると思います。

もう一つは、これは後になってわかったことですが母の中には自分への自信のなさがありました。

自分に自信がないゆえに自分の決定に自信を持つことができなかったのです。

 

3.自分の力で治そうという気持ちになるまでに時間がかかった

痛みや息苦しさが本格的になってきた8月5日、母に今でも誰かに助けて欲しいと思っているかと尋ねました。母は思ってると答えました。

自分自身で治す気持ちがなければがんは治りません

厳しいこと言うようだけどそんな気持ちでいるんじゃ治らないよと母にも言いました。

がんを治すために100%効果がある治療法なんてない。ウルトラCはないんです。

だからこそ自分で考えなければならないのです。自分ががんになった原因と、今の自分に何が必要なのかを。

この話をした後にようやく母は自分で治さなきゃと奮起して自分を鼓舞するようになってくれましたが、もっと早くにこの覚悟が決まっていればというのは悔やまれるところです。

 

4.がんになった本当の原因から目を背けようとしていた

8月中旬に聡哲鍼灸院に行った際に、ご自分ががんになった原因は何だと思われますかと先生に尋ねられました。それに対し母は、2、3年前に非常に忙しい時期があったこと、それ以外でも常に忙しく余裕のない日々を送っていたことと話していました。

でもそれに対して聡哲先生は、それも一因かもしれないけれど本当の原因は別のところにあるんじゃないかなあと仰っていました。私も全くそう思いました。

母の心は多くのことに囚われていました。

「〜しなきゃいけない」とか「〜するわけにはいかない」とか。

他人の感情や世間体といった自分以外のものの意向を常に伺う傾向にありました。

自分の外に判断の基準をもつことでどれほど自分自身が苦しくなるか、母は認識していませんでした。

他人を慮ることは美徳です。しかし他人を信じて任せることもまた必要です。

何もかもを自分で抱えようとしたら自分自身が飽和状態になってしまいます。

生まれ持った自分自身の性格を否定するのではなく、むしろ本来の自分自身を再発見することががんの治癒に繋がると私は考えています。

 

ある時母にがんになった自分自身を赦しているかと尋ねたところ、赦せていないとの答えがありました。

弱い自分自身をも赦し認め愛することが本当に自分自身を大切にし信頼することになります。

真に自分を信じられることで、他人に対して不要な期待や絶望を抱かなくなり、他人を信頼することにも繋がります。

母も闘病の中で確かに自分の中にあった余計なものを徐々に捨て、これらの概念を半ば理解しつつあり、本来の自分を見つけ始めていると感じていました。

しかしがんよる肉体的な症状の方がひどくなってしまい、治癒のプロセスに入る前に命が尽きてしまったことは残念です。

心の問題の解決は特に時間がかかることもあり、がんの拡がるスピードとの勝負の中で焦らずしかし着実に解決していかなければならないというところがこの病気の難しいところだと思います。

 

5.なかなか死と向かい合うことができなかった

骨転移がわかって以降、特に7月半ば頃からは母がいつも何かに怯えて上の空になっているような感じが気になっていました。

6月か7月に何かやりたいことはないのと聞いても、今はとにかくがんを治したいと言った母に、確かにそれはそうなんだけれどそれ以外に何かないのだろうかと違和感を感じたことを覚えています。

私ならもし自分が死ぬかもしれないと思ったら、やりたいことたくさんあるのになあと思ったのです。

母は自分の余命を聞くことも拒んでいました。

7月末か8月頭か、母がいつも何かに怯えているように見えるけれど、何にそんなに怯えているのか、死ぬのが怖いのかと訊いたところ、その話は今はやめようと言われました。

自分自身が死ぬ可能性があると気づいた時、人は死とは何かを考えるのではないかと思います。

しかし母はがんを告知され、転移を告知され、死が間近に迫っているにも関わらず自分が死ぬ可能性から目を背けようとしていました。

がん患者だけでなく、人は誰でもいつかは死にます。

私だって今日明日急に事故で死ぬかもしれません。

でも死ぬ可能性について考えるからこそ、人生がいつ終わるかわからないからこそ今日この一日、今の瞬間を大切にすることができるのではないでしょうか。

人生は有限だからこそ、自分のできることには限りがあり、無駄なこと自分がやらなくてもいいことは捨てていこうと考えられるのではないでしょうか。

 

 

自分の母についてかなり厳しいことをたくさん書いていると思います。

しかし現実を直視して逃げずに解決策を見出していくことこそが、がんから寛解するための糸口になると私は思っています。

物事を成功に導くための方法の一つは試行回数を増やし、失敗を糧に次のチャレンジをすることです。人の命は一つしかありませんから、この母の体験を一つの試行結果として残すことでがん治癒に向けて闘病されている方の礎となれることを期待しています。